あの丘を越えて行こう [自転車]
自転車に乗りたくなった。
そう、自分の力で何とかあの丘を超えてみよう。それが大事なことなのだ。

久しぶりに自転車を買いましたが、これは楽しいな。
この自転車はロードバイクと言いますが、クルマで言えばスポーツカーというかF1に近いのかな。
無駄を削りに削り軽量化、「アスファルトでスピードを出す」、そのためだけに作られています。


ピンからキリまでありますが、私はもちろん自分の身の丈にあったものをチョイス。
このあとに自分の予算の範囲内で計画を立てながら徐々に部品をいいグレードに換えていけたらいいですね。
乗り手の鍛錬次第でだいぶ違うでしょうけど。
『複雑な問題を解決するには単純であることが大事だ』
深いね。
自転車は読んで字のごとく、自ら転がす車。人力なので自分で力をかければ進む単純明快な乗り物。
複雑な社会にそれはなかなか見出せないが自転車にそれはある。理不尽な事はそこには存在しない。嘘や偽りがまかり通るようなことはそこには存在しない。
フェアです。
今ある自分の力を出せばいい。もう少しスピードを出したいのなら、もっと遠くまで行きたいのならもうちょっと自身を鍛えようか。単純なことなのだ。

怠けていたので体力不足を痛感。身体を作り直すことにしました。赤城の山裾はとても広いので山麓の丘(アスファルトの)を登る登る登る。
1月1日。冬は路面状況の見極めが超重要なので、お昼くらいに大丈夫だと見極めた上で走ってみた。

赤城の上のほうは積雪していますが、里山近くの日の当たるところにはホトケノザやオオイヌノフグリが健気に咲いていました。

土手を走る走る走る。気がつくと距離80キロとか普通です。
ロードは風になれるなあ。いろいろな所に行ってみたい。
いいなあキヨシロー氏のあの唄(自転車ショー歌)は。
拙い当ブログが自転車ネタ投入でどこに向かうか?
ともかく今年もどうぞよろしくお願いいたします。
妙義で一言 [自転車]
「体重落とさないと!」
山道を自転車で登るには、脚力は当然としてもやっぱり身が軽いほうが有利みたい。
自転車を3~4キロ軽量化するためには数十万円かかる。ホイールもいいのになると本当に高い!履いてみたいけどそんなホイホイ買えないって!上見るとキリが無いので。
結論「トレーニングしかないな!」ということ。
でもロードバイクってそれが全然苦痛じゃないのが凄い。乗れば楽しい。しかも痩せられる。さらに訓練にもなっている。
なんて素敵な相乗効果なのだ!
金鶏山(妙義の一部、現在入山禁止)
旧・富岡製糸場
自転車で来たのは初めてでしたが
高崎市下町交差点
例幣使街道(左)と旧中山道(右)の分岐でもあります。
例幣使街道は京都から日光東照宮までを結んでいる。
例幣使は1646年より毎年京の朝廷から日光東照宮への幣帛を奉納する勅使(これを例幣使)がつかわされた。
京から中山道を下り、倉賀野(高崎)から伊勢崎、太田、足利、佐野、栃木、合戦場、金崎を通り日光西街道と合わさる楡木を経て日光に至った。
この例幣使っていうのは悪いのも少なくなかったらしいですねぇ。
朝廷と幕府のある意味での権力を笠に着ていますから、日光に行く道中、土地土地、宿場宿場で手に入る賄賂などなどで私服を肥やしていたのが多かったらしい。
この街道沿いは生糸、絹織物関係で財を成している家も多かったからお金の動きはかなり激しい土地柄だったんじゃないかなと思いますね。(つまり運送と街道も発展した)

今日は節分ですが、我が家の庭のセツブンソウが咲き始めました。
西洋セツブンソウ(黄色で大きい)もあるので咲いてくれるといいんだけどな~。
里山散策にて [自転車]

春の小川にはまだ早いけれど、里山を散策していたらこれは珍しい!
かやぶき屋根のお家。

クルマじゃ気がつかなかったね。自転車だからこそですね。
またその話かい!と言われてしまいそうですがロードバイクに乗りまくっています。
バレンタインに甘い試練を与えてくださった皆様ありがとうございます♪痩せないと!!

かっくいい!プロ選手が乗る自転車です。
これは自転車じゃないね。競馬馬、サラブレッド。

これは私のですが、アルミなので安っぽいのは仕方なし
同じなのはメーカーだけ。だけど安物の自転車に乗っても速い人は速いハズなのだ。自転車の性能の差なんて言い訳に過ぎないのだ!
シャアもガンダムのアムロに「モビルスーツの性能の差が戦力の決定的差でないことを教えてやる!」って言ってたもの。
まあ、カーボン製が買えないだけですが。。
とにかく、私はこれに愛情を注ぎ、しっかりと練習して行こうと思います。

桐生から赤城(拡大します)
裾野は長し赤城山、裾野の面積は富士山に次いで日本第二位。
赤城山って見る場所によって全然姿かたちが違いますが、桐生と伊勢崎の間くらいから見るのが一番優美な感じがする。ハンカチ王子くんの地元から見る赤城かな。
横川駅から碓氷峠超えで軽井沢 [自転車]
2011.5.15(日) 快晴
国境超えはロマンだ!
国境には峠超えがセットになっていることが多く、人や物の往来がそこにはあり、それぞれのドラマがある。
今回は群馬と長野の県境である中山道最大の難所と言われた「碓氷峠(うすいとうげ)」を超えて新緑の軽井沢に自転車で向かいました。

疲れを取るにはもっと疲れることをする、これに限る。自然の中ならさらに良い。疲れなどすぐ忘れてしまう。
碓氷峠と言ったらやはり横川駅は外せません。
横川駅(海抜387m)から次の軽井沢駅(海抜939m)への高低差を考えると普通の列車では無理。
なので、つい最近までは列車が横川まで来ると一番後ろに機関車を2つ連結して押し上げていたのだ!
軽井沢から横川も大変で、この急勾配ではブレーキが間に合わない。だから頭に機関車を繋げてブレーキをかけてもらってやっと下りてきていたのだ!
その連結作業の時間の間に乗客は峠の釜飯を食べて暇をつぶしていたのだ!!
ロマンだなあ。
今は長野新幹線ができたので碓氷峠(横川-軽井沢)の路線は1997年(平成9)に廃止されました。

横川駅には中学生の時に一人電車旅で降り立ったことがあります。こんな駅だったかなあ。
でも駅前に峠の釜飯屋さんがあったのはよく憶えています。こちらが本店ですね。

横川駅にはザックを担いだハイカーも多く、どちらへと伺ったところ横川から碓氷峠を越えて軽井沢に向かうということでした。軽井沢に行く山女子ともお話しましたがトレッキングの人気ルートみたいですね。
自転車だと舗装の無い旧道は入れないので、アスファルトの旧道を行きます。歩きだと途中から古来よりの山道になります。

旧中山道を峠に向けて登り始めるとすぐに坂本宿
ここは一直線に道が登っていて宿場町として作られていたことはなんとなくわかります。

旧道はクルマも少なく意外と静かでした。
軽井沢に向かうクルマはもっと便利な碓氷バイパスを使ってしまうみたいですね。
ここは大型トラックがまったく走っていなかったのが何よりよかった。
山は春真っ盛りと言う感じでした。


碓氷第三橋梁(通称めがね橋)が見えてきました。
でかい。レンガのアーチ橋は日本最大です。
明治25年4月に建設が始まり、なんと12月にはスピード完成。時代のパワーでしょうか。
川底からの高さが31m、径間数4、長さ86.7m。

日本の近代化を支えた富岡製糸場も近くだし、その生糸を運んだ鉄道は全て関わりがあります。
明治時代の日本の輸出品の主要部門はなんと言っても生糸。
明治の殖産興業をこの橋も一役買っていたのですね。
これを見に行くだけでも価値はあると思いました。

新緑の中を走っていると突如「軽井沢」の標識が。えええ、ついちゃったの???
ここが碓氷峠の新峠。1886年(明治19)に旧峠の南方3.5キロ付近に開削。
古来より碓氷峠は難所と言われていますが旧中山道のアスファルト道の勾配は実際たいしたことはなく、いったいどこから本格的に登り坂が始まるのだろう?と思っていたらあっさり終わってしまった感じでした。
カーブが183個あったみたいですがロードバイク乗りの人ならこれは登りとは言えないかも。これならうちの裏山のほうが遥かに勾配は厳しい!
勾配よりもむしろ舗装の状態があまりよくないので帰りの下りの振動が腕にきつかった。。カーボンなら違うのかなあ。
軽井沢の駅や街はすぐ下に見えていました。
このまま下って軽井沢をふらふらするのもよかったのですが、見晴台に行くことにしました。そこが旧・碓氷峠です。
右折します。
3.5キロくらいなのですぐにつくかと思ったらクネクネしていて緩い登りが続きます。途中で高台の別荘地を抜けていきました。

途中で浅間山がよく見える場所がありました。ここが一番景色がよかったかも。
この辺まで上がってくるとやっと芽吹きが始まったという感じでした。


旧軽井沢からの道と合流してひと登りで峠です。

旧・碓氷峠の付近一帯、標高960m
群馬と長野の県境。国境と言ったほうが響きがいいですけどね。

碓氷峠には熊野皇大神社(碓氷峠熊野神社)があり、鐘に1292年が記されており少なくとも鎌倉時代にはここは正当な峠道になっていたことがわかっています。

新緑が始まった感じでした。ちょっと気温が上がりすぎてしまいぼやけてしまったのが残念。
それにしても山また山。それでもここが一番往来しやすかったから峠として成り立っていたわけで。
当時は厳しかったろうなあとやっぱり思いましたね。
峠でおにぎり(たらこ入り)を食べてエネルギー補給。

ここを下るとすぐ旧軽井沢です。

そこにはおなじみの軽井沢がありました。
国境超えはロマンだ!
国境には峠超えがセットになっていることが多く、人や物の往来がそこにはあり、それぞれのドラマがある。
今回は群馬と長野の県境である中山道最大の難所と言われた「碓氷峠(うすいとうげ)」を超えて新緑の軽井沢に自転車で向かいました。

疲れを取るにはもっと疲れることをする、これに限る。自然の中ならさらに良い。疲れなどすぐ忘れてしまう。
碓氷峠と言ったらやはり横川駅は外せません。
横川駅(海抜387m)から次の軽井沢駅(海抜939m)への高低差を考えると普通の列車では無理。
なので、つい最近までは列車が横川まで来ると一番後ろに機関車を2つ連結して押し上げていたのだ!
軽井沢から横川も大変で、この急勾配ではブレーキが間に合わない。だから頭に機関車を繋げてブレーキをかけてもらってやっと下りてきていたのだ!
その連結作業の時間の間に乗客は峠の釜飯を食べて暇をつぶしていたのだ!!
ロマンだなあ。
今は長野新幹線ができたので碓氷峠(横川-軽井沢)の路線は1997年(平成9)に廃止されました。

横川駅には中学生の時に一人電車旅で降り立ったことがあります。こんな駅だったかなあ。
でも駅前に峠の釜飯屋さんがあったのはよく憶えています。こちらが本店ですね。

横川駅にはザックを担いだハイカーも多く、どちらへと伺ったところ横川から碓氷峠を越えて軽井沢に向かうということでした。軽井沢に行く山女子ともお話しましたがトレッキングの人気ルートみたいですね。
自転車だと舗装の無い旧道は入れないので、アスファルトの旧道を行きます。歩きだと途中から古来よりの山道になります。

旧中山道を峠に向けて登り始めるとすぐに坂本宿
ここは一直線に道が登っていて宿場町として作られていたことはなんとなくわかります。

旧道はクルマも少なく意外と静かでした。
軽井沢に向かうクルマはもっと便利な碓氷バイパスを使ってしまうみたいですね。
ここは大型トラックがまったく走っていなかったのが何よりよかった。
山は春真っ盛りと言う感じでした。


碓氷第三橋梁(通称めがね橋)が見えてきました。
でかい。レンガのアーチ橋は日本最大です。
明治25年4月に建設が始まり、なんと12月にはスピード完成。時代のパワーでしょうか。
川底からの高さが31m、径間数4、長さ86.7m。

日本の近代化を支えた富岡製糸場も近くだし、その生糸を運んだ鉄道は全て関わりがあります。
明治時代の日本の輸出品の主要部門はなんと言っても生糸。
明治の殖産興業をこの橋も一役買っていたのですね。
これを見に行くだけでも価値はあると思いました。

新緑の中を走っていると突如「軽井沢」の標識が。えええ、ついちゃったの???
ここが碓氷峠の新峠。1886年(明治19)に旧峠の南方3.5キロ付近に開削。
古来より碓氷峠は難所と言われていますが旧中山道のアスファルト道の勾配は実際たいしたことはなく、いったいどこから本格的に登り坂が始まるのだろう?と思っていたらあっさり終わってしまった感じでした。
カーブが183個あったみたいですがロードバイク乗りの人ならこれは登りとは言えないかも。これならうちの裏山のほうが遥かに勾配は厳しい!
勾配よりもむしろ舗装の状態があまりよくないので帰りの下りの振動が腕にきつかった。。カーボンなら違うのかなあ。
軽井沢の駅や街はすぐ下に見えていました。
このまま下って軽井沢をふらふらするのもよかったのですが、見晴台に行くことにしました。そこが旧・碓氷峠です。
右折します。
3.5キロくらいなのですぐにつくかと思ったらクネクネしていて緩い登りが続きます。途中で高台の別荘地を抜けていきました。

途中で浅間山がよく見える場所がありました。ここが一番景色がよかったかも。
この辺まで上がってくるとやっと芽吹きが始まったという感じでした。


旧軽井沢からの道と合流してひと登りで峠です。

旧・碓氷峠の付近一帯、標高960m
群馬と長野の県境。国境と言ったほうが響きがいいですけどね。

碓氷峠には熊野皇大神社(碓氷峠熊野神社)があり、鐘に1292年が記されており少なくとも鎌倉時代にはここは正当な峠道になっていたことがわかっています。

新緑が始まった感じでした。ちょっと気温が上がりすぎてしまいぼやけてしまったのが残念。
それにしても山また山。それでもここが一番往来しやすかったから峠として成り立っていたわけで。
当時は厳しかったろうなあとやっぱり思いましたね。
峠でおにぎり(たらこ入り)を食べてエネルギー補給。

ここを下るとすぐ旧軽井沢です。

そこにはおなじみの軽井沢がありました。







