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桜の旅 2012 ブログトップ
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"Looks like I'm walking." [桜の旅 2012]

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個人の威厳。山桜、気高く。


日本人のメンタリティの背景の一つにあるのであろう桜とは何なんだろうかと自分なりに考えたかったが難しいですね。
それなら桜ってやつを最初から最後まで見てやろう、何か感じることもあるかもしれないなということで始まった。
また、私にはそれしかできない。
そして地元の桜から標高を徐々に上げながら、週末は山へで結局は2ヶ月間の桜の旅。
桜に感じたのは「距離感」。

人と桜には「いい感じの距離感」を感じます。
それはもちろん何メートルという現実の距離じゃなくて観念的な距離のことで、近くも無く遠くも無い距離感。
桜には人の暮らしがあるからいいのですね。農耕民族であるというのもきっとあるのでしょう。
桜で春を知る。誰もが知る。



遥か遠いところに咲いている桜に情緒を感じないのは、そこに人を感じないからでしょう。
自分の卒業した小学校の桜に昔を思い出したり、山桜であってもそれは高嶺の桜というよりも、人の拓いた山里の山桜や峠道から見えるくらいの山桜に心が動くのであって、あまりにも厳しい高嶺で咲いている桜には自分の心を重ねるようなことは普通は起こらない。
自分には足元があって、そこから見ているから桜はいい。
声が届くくらいがちょうどいい。



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我々に日常生活があるからこそ、あの桜というものに感じるところがあるのですよね。
長い冬を経て、やっと春が来る。喜びや悲しみをその桜に重ねていく。

咲き始める桜に心が浮き立ち、満開の誇らしげな桜に歓声をあげる。散る桜に儚さとともに悲しみを。
あるいは誰かの面影を見、感謝の気持ちが自然と溢れてくる。大きな励ましをまた受け取ったりする。


桜が散ればまた来年。
またきれいな花を咲かせておくれという気持ちで風に舞う桜を見ている。自分も頑張るから見ててね、と。






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桜の最前線を追うというのは常に冬と春の境界線に身を置いていることで、桜以外にも生命の息吹や育みをそこかしこに感じることができた。
一貫してそういう具体例をたくさん見ていくと気がつくこともあるもので、その桜から抽象的な物事をやはり考え始めますね。


桜が咲いて桜が散る。
早朝に行動したことが多いので暗闇の中に日が昇るということがすでに生命なのだが、森羅万象すべてには貫かれた原理原則があり、必ず関連性、連続性があるんだなという本当に当たり前のことに気がつく瞬間もあった。


4月にNHK新日本風土記で桜を特集したときに、福島のお父さんが言っていましたね。
「夏の暑さ、冬の寒さに耐えて何も言わずに咲いてくる桜。いろいろ抱えている人間よりよっぽど花はえらい」





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原理原則は人にももちろんある… はずなのだが、人は所詮は愚かで弱い生き物なので、
原理原則(人生哲学、生き方、毅然たる信念や覚悟のようなもの、等身大の誠実な心)というものを自分で学び育てていかないといけないのだろう。
でもその育て方は大袈裟なことでもなんでもなく、全て、日々の生活の中にあり、丁寧に生きていれば自ずとわかること。



日常でそれを意識している者と意識していない者では結果的に大きな差が出てくるような気がします。
肝が据わっていれば何事が起こって多少心が揺れたとしても大きなブレは無く、自分を客体として眺めながら、「ああそうですか、じゃあこうしよう」というチューニングが可能となるのでしょう。
人は悲しみや無常を常にどこかで感じている。
しかし挫けそうになりながらも歯を食いしばってもう一歩。そこからもう一度立ち上がろうとする。
そこで自身への規律、決めた原則が大きな助けになるのだろうし、何事かの事実を事実として自分の腹できっちりと受け止めた上でその筋の通った途上で精一杯のことをやろうとする。


風雪に耐えて春が来れば何も言わずに美しい花を咲かせる桜。
花はたとえ一輪だろうと小さかろうといいのです。もしかしたら咲かないのかもしれない。
でもいつか、心の中のそれを静かに咲かせたいなと思っていること、そのプロセスを大事にすることが大切なのかなと思う。
それと、震災で突然何もかもを失った彼らが、そこからもう一度、悲しみや運命でさえ胸に抱きしめながら立ち上がろうとするたくましい姿を私たちはいつも思い出さなければなりませんね。
それを美しく気高い姿というのでしょう。
そういう人を私たちはよく知っているはず。



だから人は雑じゃ駄目ですね。
情緒性、感受性を磨き高めておかないと。そしてこれはすべて、日常生活にある。
自分を知り、人を知り、物事を知るということは日々の生活にあります。
朝の挨拶1つからしてそれはもう日常の質を高めることですから。
自分でもう一人の自分を斜め下に眺めながら、悲しみでさえ上質なユーモアとして見られるくらいまで育てていけたらそれは最高なのかもしれませんね。





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桜の旅が終わり、久しぶりに週末に家にいるので映画を観た。
ロバート・デ・ニーロに「ミッドナイトラン」という痛快なロードムービーがあって、久しぶりに観たがやっぱり最高だなあ。
ひょんなことから一緒に旅をすることになった2人はもともとは敵対関係なのだが、旅の空間と時間を共有していることでいい距離感を保ったままちょっとづつ不思議な友情が芽生えていく。
その作品に一貫して流れている鮮やかな明るさ。
明快さ、頑固さ、歯切れのよさ、媚びの無さ、勇気、正義、素晴らしい。
ドタバタあり、しんみりさせるシーンあり、心の素朴さ、友情、プライド・・・
音楽もいいんだよね。



Looks like I'm walking.
(しゃあねえな、歩くか) …と私ならあの場面を訳す 

デ・ニーロのこの一言にこの映画の全てが表されているな。最高だ。
無様でもかっこ悪くてもいいのです。
そうです、歩くしかない。
人が生きていくというのは決して簡単ではないのだが、しかし生き方をシンプルに、一言、単純明快にしておくというのはとても大事な気がします。
自分の信念にそれが本当に大切な事なのかどうか、ということ。
また、そういう真っ直ぐな人のまなざしをちゃんと見てあげられる人間でありたいと思っています。





以上、今回をもってこのブログは終わります。関わってくれた皆様すべてに感謝します。
桜の旅はとにかく忙しい。でも忙しいからこそ気がつけることもあったのかなとも思う。
私は完全に勉強不足で未熟者。まだまだ学ばなければならないことがたくさんある。
本もたくさん読みたいし、美術館に絵も見に行きたい。
当面はロバート・デ・ニーロの映画を中心に観ることにします。かっこいい!
ありがとうございました。



気高く咲く桜はいつもそこで何も言わずに立っている。
近くも無く遠くも無い。悲しい花だが強い。
それがわかったときに桜が微笑んでくれるのかもしれませんね。









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桜の旅 [桜の旅 2012]



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奥日光の奥座敷、一番奥にある湯ノ湖、湯元温泉まで来ました。
芽吹くシラカンバ。
標高は1500mくらい。



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日光は大雨だったので、早朝から霧が出て光が射して・・・を期待して朝4時頃には湯元にいました。
しかし朝方は雲が多く光がなんとか来たものの雲の隙間からという感じで微妙・・・、風も少し吹いており霧などはもちろんなくて期待通りの日ではありませんでした。
前の日にキャンプをしていた人にお話を聞いたら前日は物凄い雨だったようで、桜もだいぶ散ってしまった感じ。




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でも自分の中ではその場所に行くほうが重要だったから咲いていようが散っていようがどっちでもよかったな。










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オオヤマザクラ




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湯元はこれから本格的な新緑とツツジのシーズンに入っていく。


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奥日光湯元 




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旅が終わりました。
登山をして標高を上げればまだまだこの山域には桜があるのですが、このゴール地点の桜まででこの旅は一応の完了とします。
3月末から5月末まで、楽しかったですよ。
この2ヶ月の更新回数は普段のペースだと3年分、下手すると4年分くらいかな。おかげでブログへの写真のアップ容量が無くなってしまった(笑)。
キリもいいのでこのブログは完全終了、次回に感想や考えたことなどを書きながら最終回とさせていただきます。
桜の旅に長々とお付き合いくださりありがとうございました。








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平凡の中の非凡 [桜の旅 2012]

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1週間くらい前のことですが、新緑が上って来ていました。
その最前線に桜。あの桜は相当な高さですよ。左にピンクの桜がわかりますか?
あの桜は何だろう。オオヤマザクラなのか、ミネザクラなのか。
(拡大)




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今年の春は桜について考えた。
日本人をこれほど惹きつける桜っていう存在は一体何なんだろう?
これを一度じっくり考えたいなと思っていたので、桜前線を追うことにした。
前線にいつも身を置いておけば何かに気がつくこともあるかなと思ってこの旅は始まった。


桜は日本中にある中で、故郷の尾根伝いの桜ということにこだわりたかった。
地元の裏山から始まり山を尾根伝いに、徐々に高度を上げながら奥日光までやってきました。
桜を追うことは必然的に冬と早春の境目にいつもおり、たまに冬ゾーンに入ったり春真っ盛りゾーンに入ったり、そこを行ったり来たり。
天候や気温もいつも以上に頭にあった。





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毎年春になれば普通に咲く桜をこれほど意識して見たことはなかった。
堅い蕾が膨らみ色がつき、だんだんと大きくなってふわっと広がりパッと咲く。そのプロセスをきちんと見る機会なんて気にしていなければそうは無いですからね。








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たくさんの桜を見た。
地元では3月末から毎朝5時に山に桜を見に行った。
今年の冬は寒く長く、天候不順もあって朝の気温は1℃という日もあり、なかなか桜の蕾が膨らまず4月になってもまだ咲かず、4月7日くらいにやっとソメイヨシノが咲き始めた。


今から考えるとずっと山篭りをしているような感覚で、山を見、川を見、太陽、雲、風、雨などの天候を見、動物を見、小さなスミレを見、木を見…
様々な原理原則がそこには存在するという当たり前のことを知る。
桜の旅をしながらだんだんと「人生って何だ!」の求道旅のようになってきて自分でもおかしい。
でもとてもいい時間だったように思う。



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赤いのは花が散ったあとの桜の葉。1週間前は咲き誇っていた桜もほとんど花を散らしている。




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フデリンドウ





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桜はとにかく花が咲いた後の展開が早い。
だからもたもたしていると散ってしまい、前線もすぐ上がるし、ニュースはすぐに古くなる。
どうしても更新を頻繁にせざるを得ません。桜のスピードに頭が追いつかない。
ブログのコメ欄を開けず、さらに皆様にコメントもせず、本当に申し訳なく思います。
でもそれくらい桜は早くて続々と写真が増えて更新が間に合わなかったのです、と言い訳がましいことを言わせていただきます。
でも、本当は集中していたかったというのが一番でした。
自分の目に見えている情報から物事を知り考えたいなと思っていました。

どうせやるならドンとやれということで、早起きしてよくもまあ毎朝毎朝、寒くても雨が降っても、疲れていて眠くても、大忙しでも、行きましたね。



桜は必ず散る。これに例外は無い。
その無常観を我々は日常でいつも感じている。人生とは虚しいということを人はどこかで知っている。
しかしそこで終わらないのが人の偉さでもある。

悲しみや虚しさの中で人は様々なことを考える。
考え、時にはもがき苦しみ、そして自分の人生観なり哲学なり覚悟なりを見つけ、磨き、身に着けていく。
その悲しさを受け入れた上で、自分をどこか斜め上のあたりから客体に眺めながら、もう一度、日々を作っていこうとする。
それがきっと気高さや美しさになっていくのでしょうね。
私たちは桜にそんなことを重ねているのでしょうか。






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古い桜 2 (つづき) [桜の旅 2012]

・・・前記事からのつづき。
つづき、と言っても私の今年の桜の旅は3月末から続いています。

一貫性、継続性、連続性を持ってやれたらいいなと思い、約2ヶ月間の桜の旅。

寅さんの南から北への啖呵売をしながらの花見の旅じゃないけど、忙しくも楽しかったなあ。
こんなにほぼ毎日更新したことなんかないんだから。書くことがありすぎるし更新しないとすぐ古くなっちゃう。
でも集中できたし、考えることもたくさんあった。
このブログは桜とともにもう少し続くと思いますが、よろしかったらもう少しお付き合いください。


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この浜に静かに立つ桜、どれくらい昔からここに立っているのだろう。





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古い株です。100年や200年じゃきかないだろう。
幹を見ても老木なのがよくわかる。
自生なのか、はたまた誰かが植えたものなのか、それも今では誰もわからない。

近くにはなぜか湖畔ではここだけ「トチノキ」の古い木が何本かまとまっており、これも自生なのか、誰かが植えたものなのか、わからない。

奥日光の森は深い。




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この山域にはもともとの自生の桜ももちろんたくさんありますが、この浜辺の桜に関しては、私の考えでは人が植えたものだと思っている。
きれいな湖畔の浜辺になぜか美しい桜。偶然にしては出来すぎでとても不思議なこと。
やはり人が植えたのだろう。





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おそらく、はるか昔、この森に入る猟師か、木こりか、炭を作る人か、修験者か、あるいは船を使って釣りをしたり運搬の仕事をするような誰かが、「季節」がわかるように、あるいは森の分岐地点にもなっていることから「目印」、「道しるべ」になるように植えたのではないかと思っている。

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日本の農村の周囲からよく見えるところに一本桜がよく植えられているが、あれはもちろん田植えの時期を知るためのもの。
そういうことがこの森でも猟師か炭焼きなどの間でも行われていたのではないか。

あの桜が咲いた。
すなわち、やっと春が来た。それが誰の目にも一目瞭然。




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山に入る人は桜が咲くことで遅く訪れた春を知っただろう。
トチノキも実を食べるために昔の猟師か炭焼きが植えたものだろうという話があります。
(古代からトチの実は米が作れない山間部では人が栄養を取るための重要な食材)

浜辺にあるこの桜もトチノキも、たぶん前記事のハルニレの大木も、(この土地には自生の木がほとんどだが)これらに関しては自生ではなくて、昔の人の手がどこかで関わっており何らかの意図で植えられたものだと私は考えます。
あのハルニレの巨木は湖上からもよく見える目印でしょう。霧にまかれてもあの大木のおかげで船着場の場所が遠くからでもよく目立つ。
深い森だがしかし、ここにも人の生活があった。



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きれいな花をつけています、オオヤマザクラ。
何百年に渡り、春が来れば花を咲かせてきたのだろう。







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ここの厳冬期の環境はあまりにも厳しい。その間には様々なことがあったはず。
それでも春が来れば何事もなかったかのように花を咲かせてきたのだろう。
きっと今年のように、そしてこれからも。

等身大の生命をかけて花を咲かせるのに違いない。



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古い桜 [桜の旅 2012]

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今の季節の湖畔の朝はとても静かだ。

厳冬期に来るとダイヤモンドダストが時々見える。冬のここはそれくらい寒い。
右はハルニレの木。


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ハルニレの巨木
本当にでかい。どう表現したらいいかわかりませんが、ガンダム級。




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クリンソウが咲く「6月中旬」くらいは緑もそろい湖畔や森の雰囲気がだいぶ違うはずですが、




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今はやっと芽吹きが、といったところです。
上のほうには桜もいくつかありますね。




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遊歩道を菖蒲ヶ浜のほうに少し歩く





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朝日が森に射してきて木々の新芽を逆光が輝かせた。
いろいろな色がありますが、秋とは全然違うんだなあ。







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少し行くとそこには桜の古木があり






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古い木なので枝もだいぶ少なくなってきているが、それでも一生懸命に花を咲かせていた。
「花を咲かせる」というのはきっとそういうことでしょう。
静かに咲く桜を見てそう考える。


つづく







水辺に咲く桜 [桜の旅 2012]

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夜が明ける。



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朝日が湖畔の木々を浮かび上がらせた。
手前に桜がある。


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山の桜なので平地のような華やかさは無い。
でも、太陽に向かって精一杯咲くこの桜は美しいと思うのだ。












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遠そうに見えるが実は近くにある「光」を必死に掴もうと枝を伸ばしている姿に私は見える。











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湖畔はやっと芽吹きが始まった、という感じでした。
空気が爽やかで、やっぱり一番きれいなのは朝だなと実感。





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白根隠山の尾根は前日の降雪で真っ白だ。




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早朝バスがない日だったので赤沼から薄暗いところを自転車で行きましたが、明け方は浜に誰もいなくて静かな湖畔でした。

日が昇る前は弓張峠から先は鹿の群れがたくさん。トータルで30頭くらいは見たかな?
こっちはロードバイクで、しかも下り坂なので抑え気味ながらも時速は30キロは出ていたが、鹿はそれより速い。今回何度も横を併走することになってしまったのでよくわかりました。
かつて熊も数回目撃しているのでカーブ手前では大声を出しながら走りましたが、鹿が物凄い勢いで駆け出しました。
朝ごはん中にうるさくしてごめん。






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滝にも春が [桜の旅 2012]

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オオヤマザクラ

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国道沿いで金精道路以外だとこの滝周辺がもっとも気温が低いのでしょうね。
毎年観察している感じですと、ここから赤沼車庫までのミズナラの芽吹きが戦場よりも1週間くらいは遅い。
(だから秋の紅葉が早いのはここ)


小学生の修学旅行?の一団の元気な声が続々とやってくる。
そうか、そういう時期なんだなあ。都会の子供たち必ず立ち寄りますもんね。しかし元気だな!

この上の高山はツツジが多いので、登山口であるここから歩き出すハイカーも多い。
あの感じだとツツジ(シロヤシオなど)にはもうちょっと時間かかるだろうなあ。10日から2週間くらいかも?どうかな。



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オオヤマザクラも木によって花の色がだいぶ違う
これはやや薄いピンクがほんのり乗っている


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つぼみもかわいらしく



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風が吹くと花も舞い始めていた





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トウゴクミツバツツジ
いろは坂は新緑とともにミツバツツジが本格的に登り始めました。中禅寺湖から上はもう少し時間がかかりそうです。



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いろは坂の新緑は加速中
なんなんだこれは!?という感覚を味わえるのは今だけなのかもしれない。
まぶしい!






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緑がぐんぐん登っています。山頂はまだ明け方が氷点下、中腹が春の訪れ、裾野は初夏のような日差し。






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5月の春が [桜の旅 2012]

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平地の雨は山岳では粉砂糖のような雪を降らせたようで、土曜日はうっすらと山頂部分が白かった。
土曜日は快晴で気温が上がり中禅寺湖周辺(標高1300m前後)の桜はほぼ満開からやや見頃を過ぎたくらいでした。





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シラカンバの芽吹き
おそらく昨日今日に芽吹きだしたカンバに逆光の朝日が射してとても美しかった。
桜が満開のころに周辺の緑が始まりだすのはどこも同じだ。
冬の森が静かに動き始めた感じだ。


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長い冬の間に蓄えたものをこの遅い春に一気に爆発させる。
その力強さに感動してしまう。





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雪解け水が小川を作り




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それが集まり小さな川になる。
さすがに今の時期は雪解け水で勢いがある。





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あっ!と思ってカメラを向けてシャッターを押した。5秒くらいの出来事だったが、撮れていてほっとした。

テン、です。サイズは猫くらいかな。まだ冬の毛に覆われている。
水辺から俊敏な動きで森に消えていきました。
この環境でしっかり生きている小動物はすごい。




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早春の朝の斜めに射す光はまだ弱いが、それでも確実に動き出した春を感じられる良い散策になった。






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寒冷地に強く咲くからなのか、鮮やかな色のオオヤマザクラ



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静かに咲く [桜の旅 2012]

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近くも無く、遠くも無く、手が届きそうで届かない。
何も言わないけれど、でも何か大切なメッセージをくれているような。
心をしずめて耳をすませば聴こえてきます。
山桜はこれくらいがちょうどいい。

そう思いませんか?



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駆け上がってきた山桜 [桜の旅 2012]

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この山は2500m弱あります。
「オオヤマザクラ」の生育限界は1600mくらいかと思います。オオヤマザクラ、はそろそろ高度的にギリギリかな?



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この山の植生を見ると上のほうには濃い緑、高山や亜高山帯に生える常緑針葉樹(オオシラビソやコメツガなどの松の仲間)がありますね。

厳冬期には、マイナス何十度の暴風がそのままダイレクトに当たる吹きっさらしのところには耐寒性に特に強さを持つ針葉樹が生きており(生きているという言い方がきっと正しい)、少し窪んでいて多少は風が避けられるところには落葉するダケカンバやブナやカエデなどなんですね。
その窪みの風が多少は避けられるところにひっそりとオオヤマザクラも咲いていた。でも冬はとてつもなく寒いはず。


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日本人の情緒からすると、桜というのは人との関わりがあるからこその情緒なのですよね。
だからこそお花見なんていうのもできるわけで。
寒さには強いオオヤマザクラとは言え、ここの環境は厳しい。


江戸時代はソメイヨシノなんて無かったから、低山や山里の山桜を人々は楽しんでいたのですね。
和歌や詩に詠まれる桜も、例えそれが山桜であっても人の生活がその近くにはある。
あるいは、田植えの時期を知らせる意味の桜を集落の目立つところに植えていたわけです。
みんながわかるように。
「ああ、今年も桜が咲いたね、春が来たね~」と。




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しかし、2500m級の山岳で人を拒絶するようなところに咲いているとまた意味が違ってくる。
日本人のイメージする桜じゃなくなりますね。生活からあまりにも離れすぎるし、ハードすぎてもう物見遊山というわけにもいかなくなりますから(笑)。
山桜だとしても遠目に眺められるくらいの高すぎない山がいいのかな。2500m山岳くらいになると高すぎて存在が遠すぎるから。


桜は、それは山に自生する山桜でも人の暮らしが見えるところに咲いているからいいんだと思いますね。
桜にはどこかで人と関わりが出てくるようなところにあって、寒い冬を越して春になればしっかりと何事もなかったかのように咲いてくる。
声をかければ届きそうな距離で、近くも無く遠くも無く、弱く見えるが凛として強く、何かメッセージを送ってくれていそうで、美しく、しかし悲しさも同時に感じつつ、…だけどもああいうふうに強く生きないとな、と最後にはどこか自分を客観視させてくれるような… そこが魅力なのかな。


もっと標高の高いところの稜線で、暴風吹きすさぶ中でもオリャー!かかってこいやー!とありえないくらい強く咲いている桜を私は登山をするのでいくつか知っていますが、それはちょっとイメージとは違いますものね。
桜の情緒性を考えたら、せめて峠道を歩いてきた旅人がふと見上げると高いところに咲いている山桜くらいまででしょう。
日本の桜というのは癒し系。




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人の生活に桜は咲いているんです。





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