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身をすててこそ [言葉]

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身をすててこそ 
明日へ向かえるときもあるんじゃありませんか。
きっとそうだと思うのです。
それは自分がわかっていればいいのです。




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『にぃにぃ!こっち来てみな!いい香り、だよ!』

とか、最近は上手にしゃべるようになってきました。
頭はかなりいい?気がするんです。
でも元気でいることが一番だね。
おニューの靴で出かけました。グリーンお気に入り




満 男
「人間は何のために生きてるのかな」

寅次郎
「何て言うかな、ほら、あ-生まれて来てよかったなって思うことが何べんかあるだろう。
そのために人間生きているんじゃねえか?」



寅さんだって、悔しくて悲しくてこっそり泣くことだってあると思うのだ。
きっとそうだ。
でも、涙は見せられないんだ。
そこが渡世人のつれぇところよ、か。







朝の太陽で顔を洗って笑顔で出かけよう。
今日はいいことあるかもしれないからな。







氷の柱 [言葉]

思考という要素を何ら含まないでは、
意味を持つ経験はありえない。


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年末から渓谷の斜面地形にずっといるので、氷柱を見かけます。
この街道沿いではちょっと山に入るこれが一番立派かもしれません。
トンネルの中はあったかいけれど排気ガスとダンプの騒音。
外に出るとほっとする。
歩いているのは我らのほかには鹿くらい、たまにキツネくらいしか見かけない。
クマはさすがに寝てるよなあ??




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雪間の草 [言葉]

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花をのみ 侍らん人に山里の

雪間の草の 春を見せばや

―藤原家隆


寒い寒い冬の間、雪に埋もれながら春をじっと待っている草花がどんなに力強いか。
表面だけの美しい花の姿より、裏面で忍耐強くある自然の素朴な姿の美しさを思いなさい。










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春を待つ [言葉]

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美がわかれば楽しみ出来申しそうろう
―正岡子規




この記事は昨年末に書いたものですが、正岡子規が好きなのでそのことを書こうと思う。

「墨汁一滴」は大学時代から何回も読み返している。そして最近またもよく読んでいる。
今日は1月28日だから、「墨汁一滴」の1月28日を読む、というように。
これはそういう本なのだ。


正岡子規の生涯は34年でしかない。
子規は10年以上前から己に死が来ることを覚悟していた。
子規は21歳で血を吐き、不治の病を宣告されていたのだが、恐れをまったく感じさせない子規のエッセイはとてもいい。
あくまでも事実を客観的に見ている。
正岡子規というと俳句のことが思い浮かぶが、子規の真骨頂はやはりエッセイということになるのだと思う。



日常の素朴なリアリズムを天性の明るさで文にする。
主題が明確で形容詞で飾ることもせず、そのままの率直で正直な写実で表す。
見えるもの、気がついたことを書く。観念というのは無い。あくまでもリアル。
そういう文体というのは元気があり、ほんわかとしたユーモアを帯びる。
話は多岐にわたり、食いしん坊の子規らしく食べ物の話、ささやかな日々の出来事、句を作り、思ったことを書いた。
読み手はその文からありありとイメージが浮かぶのです。現代の私たちが読んでも何か新しいのですね。



「墨汁一滴」は、新聞『日本』の中で連載された。
『日本』は陸羯南の硬い新聞であるが、子規のエッセイが一服の清涼剤のような役割になっていたのだと思う。
「墨汁一滴」は明治34年1月16日7月2日まで、4回休んだが164回続く。
明治34年(1901)と言えば子規が死ぬ前の年。病は悪化し途中からはペンも持てないほどだったがそれでも口述してもらって書いた。



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正岡子規の価値というのは亡くなる前の7年間に集約される。
もう動けない身体であり、その小さな病床から庭の山野草を眺めながら大きな世界を見ていた。
書くことでますます頭脳が回転し、物事に気がつき、考えていける人だったのだと思うが、自分の病さえどこかユーモアに見ている感じでさえある。
悲壮感もさほどなく、客観的に見ても自分の残り時間はあまり無いけれど、やれることは全部やっちまおうという感じじゃなかろうか。
正岡子規の晩年は忙しく、死ぬまで忙しく、充実の日々だったのに違いない。
私は物事を正確に見ようとした彼の正直さが好きなのです。










早咲きの梅もそろそろでしょう。今年も春を探しに出かけたい。
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寒紅梅に雪(2月)
梅が咲き始めると春よこいこいの気持ちが強くなる。
そしていろいろな花を探しに里山に出かけ始めるのだ。









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セツブンソウ(2月末から3月はじめ)



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セツブンソウは落ち葉よりも小さい野草
早春の妖精








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梅(3月)

梅のどんくささが私は結構好き。
咲くのもぽっ、ぽっと咲き、散るのもぽっ、ぽっ。
香りをほのかに漂わせています。

桜のようなかっこよさ潔さは梅には無いのだけれど、それがいい。










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エイザンスミレ








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オオミスミソウ(いわゆる雪割草のほうが名は通っているが)には、いろいろな色があります。









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カタクリ











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ソメイヨシノ、朝の気温が1℃の日






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翌朝ソメイヨシノ咲く(4月)
毎朝欠かさず5時起きで桜を見に行ったので本当にうれしかった。







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逆光の中で








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桜が咲いた後は朝の気温もだいぶ上がってきて春霞の中に咲く満開の桜
春の中で気分がとてもいい










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満開だ










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雨の翌朝、舞い散るソメイヨシノの花びら
ここから本格的な春になってきます






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もみじの新芽と「もみじの花」。花は意外と知らないと思います。






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春のもみじ
もみじは秋の紅葉だけでなく、春も素晴らしい
赤い新芽もあるのです
1週間くらいで新芽の色は落ちついてしまいます
期間限定なのです















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山桜










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朝霧に浮かんでいた山桜












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竹林の道に藪椿の花
この光景は突然の出会いで驚きましたが、散歩はもちろん中止。
椿を踏んでまでちょっと進めないでしょう。Uターンです。












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小中大滝 アカヤシオ











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霧降滝 アカヤシオ(5月)
官軍に江戸を追われた幕府軍は会津街道に出るためにこの地で身を潜め夜を明かした時、ちょうどこの花が谷には咲いていたという。
この状況で風景の漢詩を詠んでしまう教養と情緒性が武士というものなのかな。

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幕府軍はここから少し先の深い沢の谷底で仮泊、翌朝に旧道を会津に向かった。
早春の日光、その暗い谷底には色が何も無い。
きっと名前のとおりに霧が降っていたに違いなく、ただ一つ、ぽつんぽつんと春に先駆けて咲くこのアカヤシオだけが見えたであろう。











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オオヤマザクラ 背後の男体山には前日の雪でまた薄く雪化粧


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オオヤマザクラ、大きな山桜で大山桜ですが、花も鮮やかですね












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明智トンネルの山からアカヤシオと女峰山
奥日光ではアカヤシオとオオヤマザクラがほぼ同時期











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清楚なシロヤシオ 中禅寺湖
女子の皆様はツツジ類の中では断然シロヤシオが好き派が多い気がします。

アカヤシオはまだ冬枯れの山の中で葉っぱの前にピンクの花だけ、少し遅れて咲くシロヤシオは新芽と同時に白い花がつきます。






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トウゴクミツバツツジ 中禅寺湖








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いろは坂を上って来た新緑
これでもか!というきれいな緑です。









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竜頭の滝 ミツバツツジ











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湯ノ湖 シラカンバの芽吹き(6月中旬)
雨上がりのあと、うわ~と驚いた緑色でした。


標高をあげればずっと春に関わっていられる。すべてが新しく、生き生きとしている。
こんなに楽しいことはないですね。
そしてまもなく今年の春です。楽しみです。







ダ・カーポの広子さんは佐野のご出身なのだそうですね。故郷が祖母と同じですよ。
「野に咲く花のように」、なんていい歌。心がきれいになるようです。

聴いてほしいな。










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 [言葉]



学は道にいたる門なり。
この門を通りて道にいたるなり。
しかれば学は門なり、家にあらず。

門を見て家なりと思ふことなかれ。
家は門を通り過ぎて、奥にある物なり。

― 柳生宗矩


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学生時代に奈良の旅に出たとき、運慶が25歳の時に彫った大日如来坐像(これが、すばらしい)のある円成寺に行った。そのために奈良に行ったと言っていいのだが。
奈良の都からだいぶ山に入っていくその寺の街道は、さらに奥に行けば「柳生の里」に通じている。
宮本武蔵も剣術修行時に歩いたであろうということになっている。

柳生新陰流の剣は殺人剣ではなく、抜かずの剣、すなわち活人剣。
剣を抜く前に精神の修行と鍛錬を行なう。




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芍薬

若き宮本武蔵は柳生新陰流の創始、柳生石舟斎に戦いを挑む為に柳生の里を訪れます。
当時の武蔵はまだ若くて血気盛ん。勝てばいいのだろうと自信満々な男です。
剣術家や名門道場を次々と破ることが己の名を上げていくことだと思っています。
柳生の里には、剣で名を上げようという武蔵のような剣術家やほかの道場から、一度手合わせ願いますとしょっちゅう来ています。
武蔵が柳生の里を訪れるころ、京都の名門吉岡道場も柳生に試合を申し込んでいました。
柳生としては正直言ってそういう類をいちいち相手にするのが面倒くさい。
剣を出世の道具に使うような輩はどうせたいしたことないと思っているので。


柳生の里へ向かう武蔵は途中の宿で、柳生から吉岡伝七郎への手紙、つまり「あなたとは試合はしませんよ」という断りの手紙を偶然見ます。
さらにその手紙にはきれいな芍薬(シャクヤク)が添えられており、その芍薬の茎の切り口を見て、武蔵は驚きます。
そこで武蔵は、これほどの手腕の者がいる柳生一族とは世間の評判どころではないのかもしれないと思うようになります。

芍薬の茎の切り口の鋭さはもちろんのこと、剣の試合の断りに、季節の花を添えてくるような者が只者のはずはないからです。
剣の技のさらにその奥にあるものを理解した瞬間かもしれませんね。



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雪の美術館 [言葉]

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春咲くコブシの花の下で安心して居眠りをしている犬。
そしてこの言葉。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。



この意味は一体何でしょう。
富弘さんの本の主題にもなっているから、大切な意味があるのでしょう。
ちなみにこの犬は富弘さんちの愛犬です。名は「みしん」ちゃんです。



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私はキリスト教のことはわからないけれど、人が人として生きていく限りは宗教も倫理道徳も思索も生き方も、突き詰めていけばそれらはすべてがただ一点の普遍的な根っこの部分に近づいていくに違いなく、したがって自分の言葉できちんと説明できるようにしておく必要があると思っている。


これからの時代は、自分の中で発酵した「確かさ」がないと難しい時代になるでしょうから。
人との出会い、ふれあいも、自然の中を歩くことも、本も、絵も、写真も、詩も、言葉も、音楽も、映画も・・・ 

たくさんの醸造の種を見つけたいですね。



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入り口に入ってすぐ。
クリスマスのときは弦で作られたハート型でしたが、1月はいろいろな植物が入っていました。
これではちょっと見えないけど早咲きの桜もありましたよ。




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この日は雪で、人がいなくて静かで本当によかった。
 




以前ご紹介しましたが3月まで東京お茶の水でも。
雪の群馬は無理!東京ならという方にはよいですね。

星野富弘花の詩画展inお茶の水 
「あなたに逢ってから」
開催期間 2013年1月4日(金)~3月2日(土)
2013年1月4日からは後期の展示となっています。

開場時間 平日・土曜日・祝日 午前11時~午後5時 (日曜日のみ正午~午後5時)
※入場は午後4時30分まで

入場料金 一般・学生 500円 中学生以下無料
(障がい者の方は、手帳の提示で本人と介護者1名が無料になります。)

会場 OCCビル(お茶の水クリスチャンセンター)5階 住所:東京都千代田区神田駿河台2-1





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雪に咲く気高い花 [言葉]



人間が後世に残すことのできる、そしてこれは誰にも残すことのできる遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。
それは何であるかならば、<勇ましい高尚なる生涯>であると思います。

―内村鑑三『後世への最大の遺物・デンマルク国の話』


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昨日、今日と比較的朝があたたかいような気がします。
もちろんまだ寒いけれど、寒すぎるという感じではないかな。
日中なんて日差しや空気から少し春を感じますね。

これから何度か寒気も来るでしょうし雪も降るとは思うけれど、春は必ずやってきます。
春を待っている気持ちというのはとてもいいものです。

春がきたら一番乗りで里山に出かけたい。



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「観る」 [言葉]

「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。
無限に新しいものを見いだして行くことである。
だから観ることは直ちに創造に連なる。
しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。

―和辻哲郎『風土―人間学的考察』


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「観る」と「見る」は違い、see, look, watchも違うわけですよね。鬼塚先生に教えてもらったっけな。
意識が入っているかどうかでしょうが、観るは難しいが大事にしたいな。


アメリカでは今ちょうどNFLのプレーオフ、チャンピオンシップをやっています。
日曜午後、アメリカの動きが止まっているでしょうね。みんな観ているから。大統領も。私も日本で。

今日勝った2チームがスーパーボウル進出。
シーズンも我が愛するチームはプレーオフにも出られずなので、プレーオフの興味も薄れているけれど、でもやっぱりフットボールは面白いですね。
これこそまさに天才集団スポーツですからね。



まあこれを聴いて下さい。アメリカ国歌斉唱でも史上最高とも言われています。
湾岸戦争真っ只中で行われた時のスーパーボウルの時、ホイットニー・ヒューストンさんのもの。

素晴らしい。アメリカ人でもなんでもないのに感動してしまうな。
この声、これが本当の才能・・・。



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山桜、ありがとう [言葉]



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家の裏山、今年の4月中旬のこと。山桜というのは葉とともに花が咲きます。
ソメイヨシノのように魅せる桜では無いのだけれど、寒さを越してきた凛とした強さに私は感激する。


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「やっぱり山桜が好き。」
凛々しく、伸び伸び咲く様。人に媚びることなく時代を感じる姿が好きだ。
by りんごの人


人に媚びない、甘えも見せない。強いものにすり寄る事もない。
正直である。強く、しかしやさしい。やさしくありたい。

これは姿勢正しく凛としている人たちの品性のある生き方にも通じ、それが本物というもの。
そしてそれは時代を超えた普遍的なものだ。
きっとそう言うことです。


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今年は桜をたくさん見ようと思い、たくさん見ることが出来ました。
桜の淡いピンクというのは寒さを経ないと出ない色なのでしょうね。

自分を主張するわけでもなく、しかし、自分が守るべきものを知っており、それを守っている一貫した強さを感じました。
自分自身で決めた自分の規律、自分が自分にした約束を貫き通すというのかな。覚悟ともいいますが。

今日を明日につなげていこうとする一貫性。





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街中のソメイヨシノが散った後、4月中旬の新緑の芽吹きの頃に山桜は咲き始める。
パステルカラーの萌黄色の山の中に山桜。
凛とした強さとともに、このやわらかさ、やさしさ。

春は生命の息吹。





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年の瀬。
どことなく慌しく人の心もどこかそわそわ、紅白くらいまでが一番楽しいですね。
明けてしまうと雰囲気がガラリと変わり、お正月なんて来なくていいのにななんていつも思います。
でも桜は楽しみですね。








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クリスマスプレゼント [言葉]

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クリスマスに甥っ子に絵本を。版画の絵本です。

「ミズナラ」という文字に目が行き、中をめくるとこれがまた素晴らしい作品の数々。
私がこれは一目惚れ。版画ってこんなにすごい表現ができるのかとびっくり。
甥は乳幼児なのでもっとやさしいのがいいのでしょうが、これでいいのだ。


日本人の美的感覚というのは室町期に完成されたものが残ってきたのだそうだが、しかし今、洪水のような情報社会というのもあって埋没してきているそうだ。
街を歩けば赤や黄色のけばけばしい看板。

寿司屋や銀行の看板にすら赤い警告の色を使っているのもあるわけですから日本人の美的感覚というのはやっぱり衰えているのだろうと。というよりも人間の品が卑しくなっているのかな。
それを作るデザイナーすら「それはここにはおかしい」ということに気がついていない場合が多いらしいからもうどうしようもない。




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人間というものが美的感覚を養うには幼い頃からじゃないと手遅れになる場合が多いらしい。
言い切れはしないけれど、柔軟な脳の子どもなら子どもなほど良いらしく、できるだけ本物を見せて触らせるのがいいらしい。
そうじゃないと、「これはどう見たっておかしい」という感覚が育たない。
きれいなもの。嫌悪すべきもの。その区別は訓練し、頭で考えないといけないのですね。
それをうまく大人は手伝ってやらねば。


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そう、鹿のお尻は雪と同じように白い。





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初夏のミズナラの森です。
私はここを歩くのがいつも楽しみなのです。来年一緒に歩くのが楽しみ。



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